眼鏡っ娘の三分類及び最強眼鏡の信仰告白

そもそも眼鏡とは、心理的な「壁」を意味する。もっとも基本的なものは「変装」としての眼鏡であろう。眼鏡をするだけで本人と気づかれない、という、お約束である。

同様に、知的、冷静を意味することがあるが、たいていの場合は、それ自体が「熱情」や「恋慕」を隠しており、故に人の心を揺さぶるわけである。「眼鏡を取ると美人」は、「美人でありたい乙女心」を秘め隠す眼鏡であり、「内気な図書委員長」は、恋をしたい心を隠している。

こうした眼鏡は「仮面眼鏡」と言えよう。

一方で、「女性の弱さ」を隠すための「武装眼鏡」もある。「風紀委員長系眼鏡」とも位置づけられよう。

さて、心理的「壁」は、もとより当人だけのものではない。自意識にとどまらない、他者からの「心理的壁」も眼鏡によって表現されうる。ぼさぼさ頭、グルグル眼鏡の類である。これは「烙印眼鏡」の一形態と言えよう。

「仮面眼鏡」「武装眼鏡」「烙印眼鏡」は無論重複する概念であり、多くのキャラクターにおいては併存する。

さて。以上より、最強の眼鏡は、まず「武装眼鏡」であること。故に、当人が強ければ強いほどよく、また、隠すものが重大であればあるほど、それは最強の眼鏡となる。
同時に、それほど最強な人間は、異端者であり「烙印眼鏡」ともなるだろう。

以上の条件をまとめるに。

1.最強。世界そのものを敵に回すほどの異端者であること(烙印眼鏡)。
2.最強。その視線をものともしない強い心を持ち続けること(武装眼鏡)。
3.強い心の奥に、ほんのかすかな何かが、時折見え隠れすること(仮面眼鏡)。
4.だからといって、好きな相手にほいほいと本心を打ち明けたりしちゃぁいけないんだ。
5.そんな秋霜にも等しき、眼鏡を、ぼくらはいつも追い続ける。