ゲーム的ファンタジーの源流試論

https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20150314/p3
 こちらの記事を興味深く読みまして、コメントつけようと思ったのですが、長くなったので、単独記事で。


 日本における、ファンタジーの受容が、おおむね、ドラクエ発であり、ゲーム特有の不条理な部分にツッコミを入れたり、解釈を与えたりといった、大喜利で、あったことは間違いありません。「ドラクエもの」というのも、ほぼほぼ正しいでしょう。

 月刊少年ガンガンが大きな発信源とありますが、より正確には、エニックスより発売されたドラクエ4コマシリーズが大人気で、そのヒットを受けて、月刊少年ガンガンが創刊され、ドラクエ4コマ、「魔法陣グルグル」、「南国少年パプワくん」等に広がっていったと言うのが正確かと思います。

 ドラクエの影響は非常に大きいですが、ドラクエが唯一ということもなく、それ以前ですと、パソコンゲームのほうで、様々な翻訳物、国産物のCRPGが発売されていました。『ザ・ブラック・オニキス』(1984)とかですね。並行して「ロードス島戦記」(1986-)から始まる、TRPGの系譜もあります。
 漫画では月刊コミックコンプなどが、そうしたCRPG、TRPGのコミカライズや、そうした世界観の作品を多数掲載していました。『ソーサリアン』シリーズ、『イース』『クソゲー戦記 ドラゴンサーガ』等々。これらの作品にも、先に述べた「ゲーム上の不条理な部分への大喜利」は入っています。

 文字媒体だと、CRPGを意識したパロディ的作品として、矢野轍「ウィザードリィ日記」や、押井守「注文の多い傭兵たち」も重要です。

 ライトノベルでは、「ロードス島戦記」から始まるファンタジーブームの中で、「実際に経験値とかある世界」の「フォーチューン・クエスト」、ファンタジーのお約束にゲーム的なツッコミを入れる「スレイヤーズ」などがパロディ性を持って登場します。

 さて、これらの源流ですが、ここで言う「ファンタジーのお約束」とは何かと言えば、ドラクエ、さらに遡って「ウィザードリィ」や「ウルティマ」、さらにその元である「ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ」などの「ファンタジー・ゲーム」のお約束と言い換えてよいかと思います。

 有名どころからいきますと、初期のCRPGであるウィザードリィシリーズには、ヴォーパル・バニーやホーリー・グレネードといったものが登場し、これはモンティ・パイソンズ・ホーリーグレイルのパロディです。モンティ・パイソンズ・ホーリーグレイル自体、騎士道ファンタジーのパロディであり、多重に「ファンタジーのお約束を茶化す」ノリが見てとれます。

 ざっくりとした話ですと、60~70年代にアメリカで「指輪物語」が大流行し、ファンタジーブームが来ます。王道ファンタジーが流行るほどに、それの解体・パロディも流行し、さらに、そこにゲームという要素が加わります。
 世界初のテーブルトークロールプレイングゲームである「ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ」が74年に発売され、これまた世界的に大流行し、このD&Dの世界設定、種族、職業等々が、ウィザードリィドラクエ等々の源流となっていきます。

 余談ですが、「バスタード」シリーズが、なぜパロディかというと、D&D的な世界観を踏襲した上で、(当時の)D&Dドラクエのお約束である「魔法使いは、呪文が強いけど、その分、肉体は弱く庇ってもらう存在」というのを、ひっくり返すところから始まっているからです。

 同作品は、D&Dから、強く影響を受けており、D&Dの版権モンスターを作中に使って怒られた事件(鈴木土下座ェ門を参照)などがあり、コマ欄外に時々書いてある「う・ん・ち・く」も、ほとんどが、D&Dの世界設定から引っ張られてます。

「バスタード」がファンタジーとして始まり、後半にSF設定が入ってくるのは、実はこれも一つの伝統です。「ファンタジーの魔法とかを解釈して説明をつけたらSFになる」ネタは、元祖D&Dから始まり、「ウィザードリィ」や「ウルティマ」に受け継がれる定番のネタです。80年代のゲームの影響を受けたファンタジー作品でも、よくありました。

 余談が長くなりました。さて、日本におけるファンタジーの受容が「ゲームの不条理な部分に対する大喜利」と書きましたが、視点を広げると、これは、ゲームそのものがもつ性質とも考えられます。

 ゲームというのは、プレイヤーに様々な可能性、選択肢、視点を与えます。例えばファンタジー小説だと「世界を救うための勇者」はかっこいいものとして描かれますが、これをゲームにして遊ぶと「無謀に突撃して、全滅しまくって王様に怒られる勇者」とか、逆に「ひたすらスライムだけを虐めるセコい勇者」「死ぬ寸前まで(HPでも1)元気な勇者」とかがプレイ体験として生まれる。「ファンタジー小説の勇者」に対するパロディが自然と発生します。

 要するに、ネタ元が「かっこいいファンタジー小説」であっても、それをゲームにして普通のプレイヤーが遊んでいくと、それだけで「勇者ヨシヒコ」っぽくなっていくわけです。

 ゲームにすることは、物語の様々な要素を解体し、再現することであり、プレイされることで、様々な発展、ツッコミどころが生まれるわけで、パロディと非常に相性がいい。
 先に述べたウィザードリィの例もそうですし、その元になるD&Dも、様々なパロディやSF設定が初期から入っています。

 源流を辿るなら、ファンタジーゲームは、その初期から、「ファンタジー作品およびファンタジーゲームのお約束のパロディ」を含んでいる性質のものであり、そうしたファンタジーゲームに影響を受けた作品は、意識するとしないにかかわらず、ほぼ不可避的に、パロディ的性質を持っていると言えるでしょう。