公園と縁側のある風景──クリエイティブ・コモンズ──

昨日書いた日記の「クリエイティブ・コモンズ」だけれども。
http://d.hatena.ne.jp/nkaiho/20060918#1158569586

コモンズというのは英語で共有地。平たく言えば、私有地でないもの。例えば、「公園」とか「空き地」とか、そんな感じである。

街の中にあって、誰でも入れる公園。子供が遊んでるかもしれないし、写生をしてる人もいるかもしれない。野球やサッカーをするかもしれないし、ギターの弾き語りをしてる人もいるかもしれない。
お互い同士の配慮は当然必要だけど、その上で、特に目的があるわけではなく、好きなことをしていい空間。

それが「コモンズ」だ。

そういうコモンズがあったほうが、暮らすのが楽しくなる。
立ち入り禁止の私有地、企業地ばかりだと息がつまるし、公有地にせよ公園を全部潰して美術館とかにされると、ちょっと困る。

美術館は美術館で大事だが、「好きに使える何もない土地」というのは、何もない故に大きな可能性を秘めている。

同じことは、現実の土地に限らず、創作や、ほかの多くのことにも言えるんじゃないか、というのがローレンス・レッシグの主張だ。

海法も作家のはしくれだが、アイディアというのはゼロから生まれるものでないことは痛感している。オリジナルといわれるような良いアイディアは、無数の過去作品を吸収した中から生まれてくる。

そういう意味で、「この作品は立ち入り禁止」と言うのばっかりだと、非常に困る。「ルールを守る限り好きに使ってね」という作品があってもいい。というか、ないと困る。
つまり、創作物のコモンズ……クリエイティブ・コモンズだ。

日本の場合、土地が狭いんで、特に都市部では、なかなかこう、広々とした空き地とか公園というのは少ない(どっちかというと河原とかがコモンズ的使われ方をしてるかな?)。

けれど、クリエイティブ・コモンズの良いところは、自分で土地を増やせるところだ。

クトゥルフ神話なんてのは、理念としての「クリエイティブ・コモンズ」の一つの例だろう(運動としてのクリエイティブ・コモンズには、今のところクトゥルフ神話作品群は入ってないと思う)。
http://kaiho.at.webry.info/200608/article_10.html

H.P.ラヴクラフトが創始し、オーガスト・ダーレスによってまとめられた「クトゥルフ神話」という設定群は、「オフィシャル設定」とか「版権管理者」とかがおらず「神様とか魔道書とかの名前、ガジェットは好きに使っていいよ」というノリのおかげで、様々な作品が生まれ、面白いことになってきた。

おかげで、様々なホラー作品、伝奇作品はもとより、荒唐無稽スーパーロボットアドベンチャーから、平成ウルトラマンまで、さまざまなところで使われた。海法&夜刀も「塵骸魔京」で使わせてもらいました。

TRPGも、クリエイティブ・コモンズの考えと近い部分が多い。ハウスシナリオ、ハウスルール、自作キャラクターなんかは、公開して共有することで、クリエイティブ・コモンズとなる。

パロディ、オマージュ、本歌取り。それ単体でも楽しいものだし。一般に「オリジナリティ」と呼ばれるものは、すべて模倣から始まってゆく。日本のオタク文化と、CCは、切っても切れない関係にある、とも言えるだろう。

自分で公開するクリエイティブ・コモンズは日本だと、公園というより縁側のイメージかもしれない。礼儀を守る限り、遊びに来てくれていいよ、という。

自分が良いものを作るため、また、良い作品が生まれるのを援助するために、「これは俺の私有地」と境界線にこだわるのでなく「遊びに来てよ」という縁側を用意し、また、遊びにいくのも乙なものである。

とまぁいいことづくめで書いてきた「クリエイティブ・コモンズ」だが、もちろん全てがそんな簡単に片づくわけでもない。現実には「企業管理の私有地」が必要な時もある。そのへんについては、また明日。

ともあれ、「ここは俺の土地だ。勝手に入るな!」という「All Rights Reserved」に対し、「礼儀を守って遊びに来てね」という「Some Rights Reserved」という考え方は、しっておいて損はない。

興味のある方は、レッシグの「コモンズ」をどうぞ。分厚い冊子ですが、内容自体は読みやすく、参考になります。

コモンズ

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